校長ブログ

3学期始業式!

1月8日(水)

2025年、新しい年を迎えました。

学校は4月で年が切り替わるものですが、この新年が明けたタイミングで新たな気持ちになることで、3学期も充実すると思います。
特に3年生は、思い出をさらにたくさん作る3学期にしてほしいと思います。
今年もよろしくお願いします。

能登半島地震から1年、阪神淡路大震災からちょうど30年経ちました。
この節目に、震災等で困っている人の気持ちを、改めて「思いやる」機会としていいただければと思います。

↓ 始業式では、下の文章を要約して話しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

能登半島地震からちょうど1年が経ちました。

昨年の1月1日に、最大で震度7の地震が発生し、その1分後には津波が到達しました。火災が発生し、輪島という町の観光地がまるまる焼けました。数少ない道路が、がけ崩れなどであちこちで寸断され、救助活動が困難になりました。水道設備が壊され、何カ月もの間、水道が使えない状態になりました。
400人以上の方が亡くなり、3万棟以上の建物が壊れました。

さらに、復興半ばの9月、大雨が降ってその地域で土砂災害が起こり、中学生をはじめ16人の方が亡くなりました。

去年の夏、被災した同級生を見舞うために、私は、能登町を訪れました。

地震から半年も経っているのに、その地域には、壊れた建物がそのまま放置されていました。ある場所では、地面全体が下がって、あたりの家がみな海水につかってしまっていました。海の中に家が建っている状態です。もうその家には住めないし、その土地を買ってくれる人もいない、とのことです。別の町に引っ越そうと思っても、お金がない、と途方に暮れているのだそうです。

能登半島の反対側に行ってみると、今度は、地面が4m近く高くなっているところがありました。住めなくはないのですが、港に船をつけられなくなったので、漁業が再開できないとのことです。
このような、大きな地面の変動は、何百年、何千年に一度の話なので、元に戻ることはまずないでしょう。

ここに住んでいた人は、今後どうするのだろうか、と思いました。

 

東日本大震災からは14年が経ちました。3月という、まだ寒い時期でした。

東北地方の沖で地震が発生し、10m以上の津波が押し寄せました。10mとは、この体育館の天井くらいの高さです。この津波などによる、死者・行方不明者は、合わせて2万人以上と言われています。

また、この津波により、福島県の原子力発電所が壊され、大量の放射性物質が外へ出ました。今でも、浪江町、双葉町、大熊町などを中心に、立ち入り禁止の地域があります。14年経った今でも、我が家に帰れない人たちがたくさんいるということです。

 

阪神淡路大震災からは、ちょうど30年が経ちました。

6000人以上が亡くなった災害です。2年生が修学旅行で訪れた繁華街も、壊滅状態でした。皆さんが生まれる前の話なのに、今でもそれによって苦しんでいる人がいるそうです。
何に苦しんでいるのか、想像できますか。

 

このような災害が起きたとき、「私たちには何ができるのでしょうか。」

阪神淡路大震災では、1年間に、のべ100万人以上のボランティアが駆け付けたと言われています。そのほとんどが、若者であり、初心者であり、県外の人だったそうです。何とかしたいと言う人の力が結集した、ということです。
このあと、被災地に多くのボランティアが集まるようになったことから、阪神淡路大震災の年は、「ボランティア元年」と呼ばれます。

私は、大きな災害があると、義援金を贈ることはしていますが、他に何ができるか、なかなか思いつきません。

東日本大震災の際には、宮城県だけで義援金が2200億円集まったそうです。
宮城県で被災した知り合いが、この義援金について話していました。「義援金をいただくことは大変ありがたいことだが、1家庭100万円もらったところで、家具や家電を少し買うだけで、なくなってしまう。新しい家を建てて、やり直すのはとても大変なこと。」と言っていました。

 

私たちは、自然災害に対して、無力であることを実感します。
先ほど問いかけた、「私たちには何ができるのでしょうか。」に対して、皆さんは、募金やボランティアは、自分のできる範囲で、自分のやりたいことをすればよいと思います。

しかし、「思いをやること」だけは、いつでもし続けるようにしてほしいと思います。