2024年12月の記事一覧
【ニュース】ようこそ、児童クラブの子どもたち(ジャグリング部)!
12月26日(木)
南畑放課後児童クラブの児童約40人が来校し、ジャグリング部と交流しました。
はじめに、ジャグリング部のステージを見ていただきました。
大技に失敗し、再トライするときは、「がんばれー」の声援もたくさんいただきました。
技が決まったときはさらに大きな拍手をいただき、ありがとうございました。
次に、体育館のフロアで、一緒にジャグリングを楽しみました。
まずは、みんなで皿回しをしました。
皆さん、なかなかできずに苦労していましたが、すぐにマスターしてしまった子どもたちもいました。
ボールやディアボロ、マッチボックスに挑戦する子どもたちもいました。
皆さん楽しそうにしていて、高校生も楽しそうでした。
最後は、放課後児童クラブの施設にみんなで移動し、軽い食事をいただきました。
笑顔溢れる交流をしていただき、ありがとうございました。
ジャグリング部のページは → コチラ
【ニュース】探究活動生徒発表会で口頭発表!
12月26日(木)
探究活動生徒発表会が、日本薬科大学キャンパスを会場にして開催されました。
学際的な学び推進事業指定校をはじめ、スーパーサイエンスハイスクール、マイスターハイスクールなど、日頃から本格的に探究活動に取り組んでいる学校を中心に34校が出場し、口頭発表またはポスター発表が行われました。
本校からは、10月31日(木)に行われた、「富士高生の主張 in 富士見市議会」での発表のうち、評価の高かった“農業に関する発表”をしたグループが出場し、口頭発表をしました。
2番目の発表となりましたが、1番目の学校の発表が素晴らしく、質問にもしっかり答えられていて、それを見てかなり緊張したようです。
終わってからは、多くの方々にほめていただきました。
富士見高校にとって、とても大きな挑戦となりました。
【ニュース】図書館テーブルゲーム会「謎解きゲーム」!
12月24日(火)
本日放課後、図書館において、「謎解きゲーム大会『謎のリクエスト』」が開催されました。
本校図書館では、毎学期末にテーブルゲーム大会を実施しています。
今回は、市販のボードゲームではなく、司書さんたちのグループが作成した、本にまつわるオリジナル問題を解くゲームでした。
初級編5題、上級編5題が用意され、それぞれ全問解くと、最後のワード(答え)が出てきました。
かなり難しかったようですが、いずれの生徒も楽しそうに取り組み、自力で解けるととても嬉しそうでした。
図書委員以外の一般生徒も複数参加し、いつもは静かな図書館が、このときばかりは賑やかになりました。
終了後、軽食が提供され、みんなで楽しく食べました。
図書館のページは → コチラ
【ニュース】生徒会認証式!
11月21日(木)
第50期生徒会役員選挙の立会演説会が実施されました。
本校の生徒会選挙規程では、会長、副会長、事務局長、監査委員長の4名を、選挙で決めることになっています。
それぞれ1人ずつの立候補があり、推薦者の応援演説と本人の公約が述べられました。
選挙の結果、全員が信任されました。
12月24日(火)
終業式の後に、生徒会役員認証式が実施されました。
信任されたそれぞれの役員に一人ずつ、校長から認証状を渡しました。
これからの生徒会をどうぞよろしくお願いします。頑張ってください。
【ニュース】2学期終業式!
12月24日(火)
2学期が終了しました。
終業式では、ノーベル平和賞のことについて話しました。
日本人が、人類全体に貢献した証しとしてノーベル賞をもらうのですから、歴史的な事件だと思います。それを目の当たりにした高校生には、ぜひ、記憶にとどめておいてほしいと思ったからです。
そのあと、終業式はいったん終わりにして、表彰を行いました。
・校内球技大会
・プログラミング技能検定1級
・埼玉県高校書道展覧会 最優秀賞
・川越市美術展覧会 会長賞
・西部支部高等学校新人陸上競技大会 入賞
・ふじみ野市ロードレース大会 入賞
次の文章を短くして話しました。
10月に、ノーベル賞の授賞式がありました。
ノーベル賞は、人類に対する大きな貢献をした人に与えられる、世界最高の賞です。日本人がノーベル賞を授賞したというのは、歴史的な快挙です。
今回は、人ではなく、日本原水爆被害者団体協議会という団体が授賞しました。通称「被団協」といいます。広島と長崎の原爆による、被爆者によって結成された団体です。
今後、皆さんが卒業して、社会人になっても、高校生のときに日本人がノーベル賞を授賞したことを、覚えていてほしいと思います。それは、皆さんが、歴史の瞬間を目撃したからです。
被団協の代表は、授賞にあたりスピーチをしました。
何と言っていたのか、改めて心に留めてほしいので、短く要約して話します。
(一部を抜粋し、わかりやすい表現に変換しています。)
私たち被団協、すなわち、生きながらえた原爆被害者は、歴史上、未曾有の非人道的な被害をふたたび繰り返すことのないようにと、2つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。
1つは、日本政府に対して、原爆被害は、戦争を始めた「国」によって償われなければならないということ。2つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり、人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、ということです。
私は長崎原爆の被爆者の一人です。爆心地から東に3キロ余り離れた自宅において被爆しました。爆撃機の爆音が突然聞こえるとまもなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕し、目と耳をふさいで、伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けて行きました。その後の記憶はなく、気がついた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。
煉瓦造りの大きな教会は崩れ落ち、みるかげもありませんでした。道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながら、なお生きている人々が、誰からの救援もなく放置されていました。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざしました。伯母は自宅の焼け跡に大学生の孫とともに黒焦げの死体で転がっていました。
このあと、被団協の活動などについて話し、最後にメッセージを述べられていました。
核兵器国とそれらの同盟国の中に、核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付くことを私たちは願っています。
人類が核兵器で自滅することのないように。そして、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう。
と結んでいました。
関連して、昨日の記事にも、被爆者の女性の話が出ていましたので、短く要約して話します。
結婚間もない18歳でした。爆心地から約1.5キロの場所で被爆しました。
強烈な熱線を浴び、10メートルほど吹き飛ばされ、しばし意識を失いました。
気が付くと、皮膚が焼けるような変な臭いがしました。顔や腕を焼かれ、右腕は爪の先までずるりと皮がむけてぶらさがっていました。左腕と比べて10センチくらい短くなりました。
一命は取り留めたものの、やけどした皮膚は盛り上がり、真っ赤に腫れました。
外に出れば周囲から奇妙な目で見られ、近所の子どもには「赤鬼」とはやしたてられました。醜い姿になり、体も不自由で勤める先もない。同居の義母には嫌みを言われ続け、離婚を迫られ、うつむいて、隠れるように生きてきました。
顔が赤く腫れあがった姿に、周りのみんなが、ひどい言葉をあびせて、傷つけ続けた、というものです。
18歳から97歳の今まで、79年間にわたって、ずっと辛い思いをしてきたということです。
人の見かけのことを馬鹿にする行為は、決して許されることではないですよね。
以上です。
参考
「『赤鬼』とはやしたてられ-差別や偏見に苦しみ、隠れるように生きて 被爆者が立ち上がるまで」 12月22日(日)中国新聞デジタル